Passoの日々の記録。

1冊のノートに救われた件

ひょんなことから(といっても長いこと悩まされていたのだが)長期間留守にしていた。

たくさんの不安があった。

先が見えない不安、事態が悪くなるんじゃないかという不安。これまで自分が歩いてきたはずの道さえも覚束なくなるような、足元が崩れていくような、そんな感覚。ふわふわとどこに向かうのか分からないまま船に揺られているような感覚。

地に足をつけて、自分は歩いているんだということ、この不安な日々もいずれは過去になっていくんだということ、そんなことを感じたくて、1冊のノートをいつも手の届くところに置いて、日付や時間、その日の出来事や思ったこと、頭に浮かんだことや学んだこと、描きたくなった絵なんかを書き綴っていった。先のことは分からない、でも自分の足跡をノートに残してそのノートを後から見返せば、確かにそこに自分がいたことを確認して安心できるんじゃないかと思った。

昔からノートやノート術が好きで、色んなノート術を見てきたのだけれど、どの方法論にも拘らずに好きに書いていった。守ったのは少なくとも日付とできれば時間を書き始めに書くことくらい。ページの切り替えも、日付が変われば新しいページに移ることもあれば、あまり書かなかった日の次の日には、線を引いて区切って同じページに書いたり、気ままにした。書くためのルールは設けなかった。

そうして好きに書いていくうちに、書き方も変化したりして、その変化に身を委ねて綴っていった。毎日見返して、歩いてきた道を確かめて、その日の道を歩んでまたノートに綴った。

ここまで来られたのは、この1冊のノートのおかげといっても過言ではない。

1冊のノートに来し方行く末を書き留めることで、私は今日まで正気を保っていられた。ときに全てを投げ出したくなったり、大きな声で叫んで逃げ惑いたくなったり、暴れたくなったり、そんな衝動に襲われることもないではなかったけれど、そんな思いも後でノートに書けばいいんだ、そうすればそんなときもただノートに残る1ページに過ぎなくなるんだ、と考えれば冷静になれた。

たかが1冊のノート、されど1冊のノート。私とともに歩んでくれて、見守ってくれて、時を綴っていってくれた相棒。この相棒に私は救われた。ほんとうにありがとう。

不安なときこそ、手元に1冊のノートを。きっとそのノートが、あなたとともに歩んであなたを救ってくれるでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です